『米国銃規制から脅威について考える』青山先端技術研究所・エグゼクティブフェロー 中嶋隆一

1米国のおける武力
○トランプ氏、撃たれる
トランプ元大統領の射殺未遂事件、というか一般の方で射殺されている人がいるので射殺事件なのですが、いつもは米国の銃乱射事件が有る毎に、日本のマスメディアは銃規制の必要性を最初に言うわけですが、何故か今回は銃規制に関しての報道が薄いように感じます。これはある意味でリベラルメディアに漂う、リベラルの利益なら犯罪も否定したくない感情なのかもしれません。これはリベラルの、規則より理想、の考えなのである程度予測できる様相です。

 

○武力の分類
日本では自衛隊と警察しか武器を所持して武力を行使できないので2層構造しかない武力ですが、米国の武力は多層化しています。日本と同じように分類すると、国軍である合衆国軍、各州に有る州軍、各州に有る州警察、郡保安官、各自治体警察(市警)、自己防衛などになると思います。ただ、武力組織、警察、司法の体系は各州、各群、各市で独自の体系を持っていて、ほとんどがかなりの武装をしています。
日本では軍と警察は全く違いますが、欧米ではその間は曖昧です。外国のテロ組織が市民間で活動することも想定されるし、敵軍に国軍が降伏した場合、市民を防護する武力は警察しかいなくなるからです。大戦時のパリ陥落後のドイツ軍とパリ市民の間に立ったのはパリ警察だったというのがパリ警察の誇りであるようです。

 

○国軍と州軍
国軍は基本的に侵略国への攻撃によって侵略を排除するために国外で戦闘します。そのために世界各国に駐留軍をおいていて国内の軍事施設は訓練など戦闘力備蓄の意味が大きいです。そのため自国を直接防衛するのは州軍の役割です。州軍は合衆国憲法から見ると正規軍ではなく民兵に分類されます。この州兵主体の役割分担は国軍側の理論ではなく、各州の連邦政府に対する対抗策であると言われています。

 

○保安官とは
保安官と聞くと、日本人には西部劇の登場人物で、警察官のように犯人、手配犯の逮捕をする役職のように思えますが、実際には判事補や刑務官、裁判所職員等の役割があって、刑事のみでなく民事にも対応して、判事行為以外の紛争解決に関する全て司法と行政行為を担当していると言えます。司法と行政を分離する日本と大きく異なります。

 

2武力としての銃
○銃とはなにか
まず銃といいますが、実際にはその威力や用途、危険性は千差万別です。多くの分類はありますが、簡単に拳銃、小銃、散弾銃、機関銃と分けましても、有効な射程は20mから200m、連射は単発から300発以上まで、多様にあります。これは、殺傷能力も多様であることなので、例えば、自分の置かれた環境の危険性、脅威の種類に対応して銃を選択できるために、銃自体に殺傷武器という感覚よりも防衛の道具といった感覚になる理由かもしれません。
最も危険性がない護身の場合に持つスタンガンなどの非殺傷銃も広く言えば銃ですが、非殺傷と言いながらそれは一般的銃のような貫通力を持っていないと言うだけで、何かしらの衝撃を相手に与える道具であるからには相手の状態や環境により、殺傷に至る可能性は十分にありますので、拳銃などから隔離されたものではなく環境による選択が細かくなるだけで、拳銃を排除できるものではないと思います。
このような多様さ故に銃規制が連発性の制限、使用可能弾薬による制限、射程による制限等であって、銃そのものの禁止にはなっていないことでもわかります。

 

○銃がない時代
銃の効用は銃がなかった時代の様相を見ればわかります。銃がない時代の遠距離殺傷兵器の主体は弓でした。和弓は道具や射手により5mから400mまでの殺傷能力が有り、それだけを考えれば銃と大差はないですが、熟練度が必要なことに大きな違いがあります。できない人はまともに飛ばすこともできません。家においていてから使用するまでに弦を張ることさえもできないでしょう。

 

○銃によってなされたもの
銃が戦争に利用されてから、日本では戦力を激突させる組織戦戦争がなくなってしまったため認識はないですが、火器の威力がそのまま勝敗というようになった傾向があると言われています。これが今日までつながる武器開発競争の原点でしょう。
銃の威力差がそのまま味方の損害の小ささに繋がるのは、植民地獲得が短期間でなされたことからも明らかです。

3市民の持つ武力

○国民の基本常識の範囲
当然のことですが国民毎に持っている武力についての考え方が違います。その国の歴史が侵略や内戦に溢れていたり、社会体制として国民皆兵や徴兵制、兵役がある場合、地政学的環境で国境紛争、領土問題があった場合など、武装に対して接する機会が変わってきます。
銃の所持を許可している国はたくさんありますが何の制限もない国はないようです。猟銃や競技中も含めれば、すべての国は規制可での所持を認めているということになります。各国は国ごとに何らかの法制度によって規制の幅を決定していることになります。その違いを他国が理解するのは、要因の多様さ、根深さからいって、例えば宗教を理解するのと同じくらい難しいことではないでしょうか。

 

○自己防衛
米国は移民の国です。それは開拓の歴史であり、とりも直さず先住民や開拓者同士の競争相手との紛争の歴史と言えます。登記等によって所有地を国が保証してくれない場合、その保持の困難さは予想できます。その状態では身内に弱者を許容できませんので、武器を保有して女性でも他者を排除できる能力を持って初めて、危険な場所でも家族帯同できることも示しています。

 

○政府への抵抗権
歴史のない開拓の国であるということは、慣習法が存在しない国であるということです。各地からの移民者が各地の慣習を法として行使できない状態は、国が法律を定める場合に、法の大原則である慣習法の優越を主張できないことになります。法律や国家制度が移民者の慣習や宗教理念の考慮なしに降り掛かってくることになります。思想信条の自由、信教の自由はそのまま国に対する抵抗権に直結します。

 

○独立戦争がもたらしたもの
米国にとって独立戦争こそ抵抗権の発揮です。実際にはイギリスが米国にやったことは単なるブロック経済や輸出入管理法の適応かもしれませんが、必要な量を自由な価格で手に入れることは規制を拒絶することで、母国からの規制を拒絶するためには武力行使が最短であると考えた時代だったと言えるでしょう。

 

○南北戦争がもたらしたもの
南北戦争は独立戦争です。北部の重商主義、工業化と南部の重農主義、大規模農場制の衝突で、南部独立を労働者や土地の確保のために妨げたい北部の闘いです。南部の重農主義は機械化、集約化で壊滅はしなかったのですが、家屋資産の破壊やその後の農業関税の主導の喪失など南部に打撃を与え続けます。米国民に同胞の分断、武力の劣勢とはどのようなものかを思い知らせた闘いだと言えます。

 

4新たなる不安の材料

○BLM
警官による容疑者圧死問題から発生したBLMの基本は相互不理解と恐怖感にあります。米国は多人種国家であると同時に多文化国家です。コミュニティ毎に文化が大きく違っています。人との距離感が大きく異なったり、遵法観念が大きく異なったり、また使用する言語のスラング化が進んでいて、意思疎通がスムーズでない世代になりつつ有るようです。また人種ごとに体型や基本体力が大きく差があり、同じ動作が恐怖の対象になります。恐怖の対象が法的な規制を受けないで接近できている状態は自己防衛を意識させる環境であるとも言えます。

 

○移民
移民は米国における多様性、コミュニケーション障壁を増加させることにほかなりません。これは実際の犯罪や脅威の問題ではなく、職のない、定住地のない、習慣を共有しない、言葉も通じない集団が近隣にいて、生活圏に入ってくる状態を示しています。武装というのは恐怖への対抗策です。

 

○LGBT等
これはLGBT自体がSOGIの問題になっていることでしょう。性自認での男女区分の強要の問題があります。この問題はBLMのときと同じように、主張しているだけの男性が女性専用施設、トイレやシャワールームに共存していることが、他の女性に対して安全を保証しているという確証が与えられないということになります。
また性自称の問題も有るようです。外見と性自称が異なるゆえに、間違った呼称に対して、それをLGBTへの攻撃と感じて、過敏に反応し攻撃的になる場合があります。この場合、今までの環境と違いどこに脅威があるかわからない、不意に襲ってくる脅威の恐怖になる可能性があります。

 

 

 

【執筆者プロフィール】
中嶋 隆一 Ryuichi NAKAJIMA
EPIC PARTNERS株式会社 監査役。青山先端技術研究所・エグゼクティブフェロー。文筆家。
防衛省で31年間勤務し、研究開発業務に従事。定年退職後は、先端技術の研究・コンサルティング、大手企業のCVCのアドバイザーボード、公共領域のコンサルティング支援を行う。
誘導武器開発官付及び先進技術推進専門官、防衛省幹部学校において技術教育教官の経験を活かして、経営者・先端技術研究者等へのコーティングも行う。航空機搭載の電子とミサイルのスペシャリストとして、執筆、講演、セミナー等を幅広く実施。

 

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