1 お金に関する不思議
○国債、借金
メディアで国の国債発行残高をもって国の借金として、その金額を人口で割って国民一人あたりの借金がいくらと伝えられることがあります。最近はネットで経済学者が、日本円での国債発行は国の借金ではなく政府の借金などと発言しますが、国民一人当たり○○円の借金という表現は未だに続けられています。
○欲しいのはお金
私が子供、父親は村の警察官派出所長だったことがあります。その時のお中元やお歳暮に、四畳半いっぱい、大量の一升瓶が届きます。それはそのまま村の会合や祭りに放出され、家では全く消費しないのですから、単なる倉庫代わりに使う風習だったのですね。近年このようなことは虚礼廃止によって激減していますし、お祝いなども物品よりもカタログ、商品券、時には直接ご祝儀などと、物より現金の風潮が進んでいると思います。みんな「お金」を欲しがります。「お金がすべて」「金の亡者」などの言葉や私の好きな狂歌に、世の中は、金と女が敵(かたき)なり、どうぞ敵にめぐり逢いたい。」という物があり、建前と本音がうまくつなぎ合わされているなと思います。
つまり、世の中には「お金」という宝があって、それを求めるのが人生目的のような感覚で間違いないと思います。実際に札びらを切る、のが成功者のシンボルだったりします。しかし、1万円札は原価20円らしいですし、それが食べられるわけでもない。これは一体どういうわけでしょう。
2 お金は如何にしてお金になるか
○物々交換の誤解
経済史において、原初は共同労働共同分配であった。その後に市場ができて物々交換ができ、市場の拡大により通貨が発生した、という説がありました。しかしながら、現在では物物交換はなかったというのが一般的です。対価交換は等価が原則ですが物物で等価交換はほぼ不可能です。季節でしか収穫できない作物、分割できない大型獣肉、または交換希望所要の誤差などは、三角交換や一対多交換など多数の参加者間での交渉が必要になります。それだけ複雑になると現物での交換の成立はこんなんでしょう。その対応には、交換材がなくても物品を供給する信用売買が必要になります。
物物交換は、信用売買は高度なので、文明黎明期の人類が発想できるはずがないという見下した視点があります。私は石貨で有名なヤップに行ったことがありますが、西洋文明が入る以前のヤップ人が、石貨を製造運搬の労働を価値として認証する能力を持っていることに感動しました。村単位なら十分に台帳や有価証券など信用取引で対応可能だということです。
○労働対価
多くの市民は企業で働いて、給与を受けています。お金の流れとしては、従業員はものを作ったりサービスをしたりして企業に売上をもたらします。その売上高から労働者は経費として給与をもらっています。お金の流れとしてはそうですが、経済学としては違います。労働者は両動力を対価として生存の保証を必要としています。企業は直接の生存保証ができないため、生存に必要な物品を手に入れるための、物品と交換できる価値を労働者に提供しています。つまり生存の実現を労働者の行動に代執行を付託しているわけです。労働力と生存保証の仲介として給与が存在しています。
○債権と債務
前項で給与は生存保証の代執行と言いましたが、給与支払いの段階では目的は執行されてはいないので、企業はお金で執行を保留にして、労働者もお金でそれを受け入れているわけです。つまり、執行と未執行の橋渡しをしています。これはとりも直さず証券です。
いわゆるお金を証券と見ると、お金に関するすべてのことが債権と債務で認識できるとわかります。労働者の労働により利益を得た企業は労働者に対し債務を負っている事になり、労働者は債権者となります。お金を払う人は受け取る人の関係は、債務者が債権者に対し債務の決済をしていることになります。
3 国債とは
○借金か
政府やメディアはプライマリー・バランスを重視し国債による財源確保を借入金と同一視し借金と表現しました。実際には財務資料を見ても、国債は収入扱いで借入金の借金扱いとは違います。ここが家計と違うところです。借入と国債の違いは有価証券を発行するか否かです。国債は国債証券を発行します。この債権は期限後には額面で現金に交換を保証しているので有価証券です。借金時に渡されるのは借用書であり、これは受け取った資金が貸主のものであるという証明であり、単に返金の請求権を認めただけであり、返還を保証したものでは有りません。返済能力がない場合は返還されません。
有価証券に代替される資金は資産になります。これは銀行預金が預金を資産として投資や貸金などに使用できることと同じです。
○如何にして通貨をコントロールするか
国債が資金調達していると言いましたが、それだけでは有りません。本来、中央銀行は通貨発行権を有していて、市場の通貨飢餓感を取られて適時に発行と回収を実施します。それによって市場や社会通貨総量を調整してデフレや急激なインフレにならないように、経済成長対応を見込んだ緩いインフレを目指します。
しかしながら、日本では日銀単独の資金供給手法が明確ではありません。確かに当時も国債発行でしたが、成長経済では税収が上振れしているために短期国債は上振れ分で償還できるために、国債発行という感覚はなく、財投などで日銀独自で通貨発行していませんでした。
そのため、バブル崩壊以降というかリーマン以降は税収が停滞するために短期国債は使用できず、社会や市場への通貨供給は不足します。そのため、停滞期の通貨供給は長期国債でしか実施できない状態にあります。日銀が国債の買いオプションではなく独自に通貨供給できない以上、停滞経済では国債発行以外の通貨供給方法はないということになります。
4 為替とは
○旅行と為替とメディチ家
為替の話になります。為替を発明したのはフィレンツェのメディチ家というのは有名です。貿易商業都市であるフィレンツェは資金を持って他国へ移動することが多く、物産を購入するためには現地の金貨など交換する必要があり、現地に多様な地域の貨幣に通じた両替が必要になり、これは同じ通貨を扱いながら金貸し業と違い利用者から受け取るのは交換作業に対する手数料であり、神のものである時間を私するものとして禁止されている利子収入ではないことから、キリスト教徒が金融業に参入できることになります。メディチ家はここに参入し各地に支店を作って両替を実施しました。
通貨を伴って移動することは今もですが、山賊が横行する当時はさらに危険でした。対抗として資金を守るために、治安の悪い地域では多数の護衛を雇わざるを得ないのですが、その経費が多額になり商売を圧迫しました。そこでメディチ家は、資金を予め当事者しか換金できない為替という有価証券化して、自分の街に有る支店に資金を預けて為替を作ってもらい、遠距離の街の別の支店で為替を渡して通貨として引き出せるようにして、旅程中の盗難を意味のないことにしました。
○複式簿記と為替
それが実施できるには、出勤と入金と為替発行を明確に区別できる複式簿記の開発が重要です。そして同じ形式の複式簿記を使用することにより、定期的な棚卸しと帳簿合せだけで各支店の会計が合算可能になり、紹介全体の経常利益、資産、債権、債務が掌握でき、支店の統廃合、新規出店などの業務計画が立てられる事になったわけです。
○銀行が支配する為替
そこで重要なのが為替です。持ち込まれる旅行為替を現地通貨に両替するわけですが、その交換比率は金貨の重量でなされればいいという単純な話ではありません。金でさえ商品となり得るものですから、需要と供給の原則は発生します。ですから幕末の日本におい駐在英米人が日本の金と銀の価値比率が世界の比率への修正が遅れたことを利用し不正に金を収奪した例があります。しかしながら、それは日本を未開と見下し、食い物にしようという欧米の共通概念があったからできることで、対等である欧州国間でやったら戦争になります。為替の比率を各国に納得するような値で決定することは納得する資格が必要です。そこで為替の基本レートはインターバンク市場で銀行や主要為替ブローカーだけが参加できる市場で決定します。まさにメディチ家以来の両替屋が生きていると言えます。
○為替の現状
一般企業や個人が為替を利用するのは、輸出で稼ぐのは外貨ですが、社員に払う給与と国に収める税金には日本円が必要になるために換金が必要になります。また輸入業者は国内販売した利益から再輸入のための原資を外貨で作る必要があります。その企業や個人にとって為替の動向は大切ですが、それだけでは膨大な為替市場は必要ありません。為替の主導は取引の9割を超えるトレーダーのマネーゲームで占められています。つまり、変動を企図して仕掛けて空売り、ヘッジ、買戻などの繰り返しで利益を得ます。本来ならば通貨供給量と通貨需要で決まるべき為替は大きく捻じ曲げられている状況だと思います。
【執筆者プロフィール】
中嶋 隆一 Ryuichi NAKAJIMA
EPIC PARTNERS株式会社 監査役。青山先端技術研究所・エグゼクティブフェロー。文筆家。
防衛省で31年間勤務し、研究開発業務に従事。定年退職後は、先端技術の研究・コンサルティング、大手企業のCVCのアドバイザーボード、公共領域のコンサルティング支援を行う。
誘導武器開発官付及び先進技術推進専門官、防衛省幹部学校において技術教育教官の経験を活かして、経営者・先端技術研究者等へのコーティングも行う。航空機搭載の電子とミサイルのスペシャリストとして、執筆、講演、セミナー等を幅広く実施。