『米国大統領選挙の民主党、共和党について』青山先端技術研究所・エグゼクティブフェロー 中嶋隆一

1 米国の民主党、共和党
○特色の決定
南北戦争の時代から続く両党ではありますが、その性格が決定したのは大恐慌に民主党政権が実施したニューディール政策によって、国費の積極経済で富裕層や革新派を掌握し、肥大化するルーズベルトの権力に対抗するために、保守層が共和党に集まったことにあるようです。戦後の対ロシア、反共産主義の国民感情は共和党の活力になり、その性格を決定づけました。


○現状
現状で言われていることは民主党のリベラルと共和党の保守主義であるものの、実際の政策は民主党の改革主義、適時進歩的、高福祉弱者救済、共和党の保守主義、規制緩和、低負担、といった方が良いでしょう。ただトランプ氏はもともと民主党であったことから純粋な共和党政策は施工していないので、典型的な共和党の特色にない国内経済保護から関税など積極的に活用しています。
ここで明確な問題を回答してしまいます。理解した人はこの項以降を読む必要はありません。リベラルの主張は、成文法は過去の知恵であり、現在に発生する新たな問題には、現在の知恵での決定機関である国会決議で対応すべきで、その結果を持って法律は改正されれば良い、というものです。対して保守は、法律には生成した要因やそれで解決したかった思いが基盤にあり、それを学んで尊重して、すべての決定はそこから導かなくてはいけないというものです。その決定を十分に考慮した後に必要があれば法を改正して、それ以降に適応すれば良い、という思考です。
つまりリベラルは法律に縛られません。現在の当事者の幸福のみが決定の基準です。

 

2 リベラルと保守について
それでは両党の特色としているリベラルと保守は実はかなり勘違いされているので、それぞれ考えてみましょう。〇リベラルを理解する
リベラルはそのまま自由主義ということですが、それは欧州においては、慣習などの非合理的でありながら支配的な権威からの自由を意味するということは間違いなく、本来はそれだけの意味なのです。しかしながら、実際に政治的権力、特に民衆と領主の関係のような身分制度の圧迫関係を国内で経験しない米国においては、独立戦争で自立してしまった後は、身分などの抑圧からの自由の意味があまり見いだせなかったために、何からの自由を求めるかが様々に変化し多様化しているように思えます。
これは、欧州については第一次大戦以降の君主政の崩壊、アジアについては第二次大戦以降の独立による共和制で、戦後独特なのヒューマニズムの雰囲気の中で、民主政治を体験する米国以外の国々は、米国の指導するリベラルに混乱することになります。
混乱の要因は、何かから自由になることは何か旧制度や社会的繋がりを破壊することを要求されるからでした。欧州が中世以降、教会権力からの自由、絶対王政からの自由など段階的に行われて、少しずつ旧制度を包含しているがあるために自由を追求することは、今日の自分を明日の自分が否定することになるからです。。

 

〇立法つまり議会制民主主義におけるリベラルについて
日本的にはなかなか理解されないですが、三権分立における立法は、議会制民主主義にとっては国民の合議となる各議員の合議としての行政決定権のことですが、これが自由であるものは実は憲法からの自由に他なりません。憲法絶対主義の日本人には理解が困難でしょうが、憲法とは成文法としての憲法典だけのことではなく、原理的に憲法とされる慣習法も、一般的社会常識も含めたものでと考えられます。権利章典はもともと神授されていたと言っていた王権を議会制民主主義が国民の合意により凌駕できるということになります。それは民主主義の時代においても同様な完形をすることができます。
憲法は、憲法制定時点の議会の合意であり、その時点での良識、慣習、規範意識ということになります。リベラル的思考からすると法は過去による拘束となります。

 

〇保守とリベラルの憲法の見方
憲法は明確に国の在り方を示したものである。しかしながら、その実態が文章で記されたものと過去の生活から経験的に身に着けられた慣習であるということから、その存在に対する見方によってその意義は大きく異なってきます。
保守における憲法は国家成立の理念である。国家が成立、または国民が国家の支配者になった時に、その遠い理想を箇条書きにして書き連ねることで具現化した理想です。そのために、何か国家の運営や正否の判断に迷ったときには必ず立ち返る国家の起点としての道標に他なりません。時代の変化によって慣習や社会、技術の変化によって適応しない状況が発生して変更する必要があれば、理念の再構築の手続きをもって原点の自由のために戦った功績のある先人の視点をも併せて再構築する必要があるものです。
それに対して、リベラルにとっての憲法とは、歴史的な自由であり成立当時の指導者の権利章典の理解に過ぎません。議会が設定する法律は民主主義原則に則っていさえすれば、民主主義の理想に対する位置づけは議会の可決する法律と憲法の間に上下関係はありません。それによって、議会、議員は平等や自由の現実的基準を適宜性以上に将来社会を先取りして推進することができるということになります。
つまり、簡便な言い方をすれば、社会の在り方について憲法に立ち返るのが保守であり、議会が社会を変革する権利があるのがリベラルということであり、ともに時代への適合性としての変化する手続き論、または漸進と急進ということで大きな違いはありません。

 

〇リベラルは急進する
リベラルの原則に従うと、先進的個人を支援することが先進性であるために、リベラルは急進する傾向がある。保守は社会の安定を重視するために行動を規制する傾向があります。
いずれにしても、憲法改定の手続きが単純な多数決ではないことからもわかる通り、社会制度の大きな改革は簡単な多数の支持では実施できません。この意味は、過去の順法行為を違法行為と転換するには、すべての人間の理解が必要であるという認識であり、半数が半数を違法脱法に追いやることが自由主義の求めるものではないということです。

 

 

 

【執筆者プロフィール】
中嶋 隆一 Ryuichi NAKAJIMA
EPIC PARTNERS株式会社 監査役。青山先端技術研究所・エグゼクティブフェロー。文筆家。
防衛省で31年間勤務し、研究開発業務に従事。定年退職後は、先端技術の研究・コンサルティング、大手企業のCVCのアドバイザーボード、公共領域のコンサルティング支援を行う。
誘導武器開発官付及び先進技術推進専門官、防衛省幹部学校において技術教育教官の経験を活かして、経営者・先端技術研究者等へのコーティングも行う。航空機搭載の電子とミサイルのスペシャリストとして、執筆、講演、セミナー等を幅広く実施。

 

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