○哲学と宗教
正法眼蔵の宗教性について考えます。
・哲学とは
人生・世界、事物の根源のあり方・原理を、理性によって求めようとする学問と言われています。これは、人間が見たり聞いたり経験している事物は、様々に絡み合って本来のあり方が見えなくなっているのを理性によって解きほぐして、事象の本来の姿を発見しようということです。あくまでも事物、事象であって、人間でさえも発生事象や思考心理などを事物として理解しようとするものです。
・宗教とは
一方で、宗教は哲学ほど明確ではないのです。それは宗教を表すにはどうしても人間の内的な行為である信仰という言葉を使わなくてはいけないからである。信仰は宗教の内的行動であり、信仰で説明するとそれは宗教を別の方向で見たことにしかならない。そえだけ宗教は定義しにくいということでしょう。信仰は信じることで理解することではないというのが宗教と哲学の明確な違いでしょう。
同じ観念論でもドイツ観念論が仏教やインド哲学の唯識と全く違うと哲学者が言うのはこの基本的立ち位置でしょう。
○正法眼蔵が正法たる所以
・拈華微笑と以心伝心
仏教を始め宗教は二面性があります。個人の不安や迷いに対応することと真理の追求といった面です。信仰の主体である民衆が必要とするのは前者なのは当然です。不安を持った衆生は様々な問いを出家に投げかけますので、出家は個々の不安に対して晴らす答えを衆生が自身で思いつくような導きをします。回答は個々の衆生が理解し生み出すために個人によって多様な仏教が存在してしまいます。釈迦入滅時から正しく伝承されるかという疑問への対応を要する事象はあったのでしょう、釈迦の悟った仏教の真理についてを確定することは常に求められていました。
禅宗がその回答として示したのが拈華微笑で、言葉によらない伝承が以心伝心で伝わっているということです。真理は言葉で表現できないというある種の諦めともいえるです。釈迦牟尼の正法眼蔵涅槃妙心からそれを正法としたのではないでしょうか。
・正法と悟り
正法眼蔵涅槃妙心こそ悟りでありそれ以外にはないとも言えます。悟りは何か生まれ変わりや闇が開けるようなものではなく、日常の世界で正法眼蔵に気付き、涅槃妙心に回帰することにあると言っているように思います。
○現成公案、夢中説夢の仏教性
・涅槃の存在
宗教の宗教たる所以は、涅槃のようなものの存在を説明するところにあります。衆生には、現世の苦難を受容して乗り越える代償としての事後保証として涅槃を信じるという、ある意味での安心材料です。また、日本において多くの人が宗教の宗教としての限界を感じるのもこの事後保証にあります。釈迦牟尼が仏教の中心に事後保証を置くなどということがあり得るのかという疑問は、正法を言葉で表現する正法眼蔵は答えなくてはいけません。
・現成公案
それに対する道元の回答が現成公案涅槃妙心です。仏陀の世界は、すべてのものが包み隠さず眼前に示されており、涅槃は現成の中にあるということともいえます。見つけること見つかるための気付きが必要なことで、これが修行であるに過ぎないのでしょう。
・夢中説夢
では現成とは夢中説夢の状態であると繋がっていると思います。夢中説夢は人生は夢のようなものであるという意味から、道元はそれを乗り越えて、夢中説夢以外の人生は存在しないとしていると言われています。涅槃は現世にしかないと言うか、現世にこそ涅槃を求めるべきであるということでしょう。見ているものが現実かどうかを求めるのではなく、見えているという世界を現実として受け入れてその中に安寧をみつけることが唯一の道ということで、これは唯識を基礎とした仏教の根本的な基盤基礎に立ち返るということでもあります。
○救いとしての悟り
・悟らずに救う仏教と悟らせて救う仏教
道元のみが正法を現実として捉えることを一歩勧めて、正法を言葉で記そうとしたということなのですが、正法を示さないことは他の多くの宗派で多様な表現をしています。真言では仏教の祆教と密教の二層構造とし正法は密教としたし、浄土宗では観無量寿経を基に、成仏は弥陀の本願として悟らずして救済する道を示しています。
・大乗に関する認識
大乗とは悟りに至る乗り物が大きいことを示しています。大きいとは誰でも、それは在家でもということを示していますが、悟りに到れることの例えで、生活を捨てて修行やを示しています。乗り物である限り、それは移動手段であることを表します。浄土などは弥陀の本願を船として極楽浄土へ運ぶと表現していますが、現成公案では眼前に涅槃が存在するので移動手段も船も必要ありません。悟りは現前にあって、その基盤は唯識であり、仏教の研究はひとえに唯識にあるということになります。
【執筆者プロフィール】
中嶋 隆一 Ryuichi NAKAJIMA
EPIC PARTNERS株式会社 監査役。青山先端技術研究所・エグゼクティブフェロー。文筆家。
防衛省で31年間勤務し、研究開発業務に従事。定年退職後は、先端技術の研究・コンサルティング、大手企業のCVCのアドバイザーボード、公共領域のコンサルティング支援を行う。
誘導武器開発官付及び先進技術推進専門官、防衛省幹部学校において技術教育教官の経験を活かして、経営者・先端技術研究者等へのコーティングも行う。航空機搭載の電子とミサイルのスペシャリストとして、執筆、講演、セミナー等を幅広く実施。